芽
毎日、学校から家に帰る。
後ろを妹がついてくる。
「ついて来るなよ」
友人に冷やかされるのではないか、そんな恥ずかしさからそうは言ってみても、結局は一緒に帰る。
それもまた、いつもの事だ。
そんな毎日だった。
小さな声で俺を“お兄ちゃん”と呼び、目が合うと照れた様に笑った。
仲の良い兄妹だったんだ。皆がそう思ってた。
なのに。
どうしてしまったんだ。おかしいじゃないか。そうだろう?
何故誰も気付かない?
あの日から俺の妹が変わってしまった事に。
あの日から妹はいなくなったんだ。
「今日は委員会で少し遅くなるかもしれないけど、ちゃんと校門の所で待っててね」
朝、真理―まり―がそう言っていた事を思い出し、拓海―たくみ―は校門に寄りかかりながら妹を待っていた。
けれど、どれだけ待っても妹は来ない。拓海や真理と同じ制服を着た生徒が流れていくばかりだ。
心配と、阿呆らしさ半分で1人、家に帰った。
真理がいた。
ほっとしながらも、待たされた苛立ちは残る。
「おい、お前が待ってろって言ったんだろ。何先に帰って来てんだよ」
ピク、と反応した真理は、初めて拓海に気付いたみたいに驚いた。
「あぁ、お兄ちゃん、だっけ?何を怒っているの?僕、お兄ちゃんと帰る約束してた?ごめん、知らなかったよ」
誰だろうこいつは。
その疑問で頭の中が真っ黒に塗り潰された。
「……“僕”?誰だよお前。真理の真似しやがって。おい、真理何処やったんだよ!」
拓海は真理の顔をしたソレに掴みかかった。
「知らないよ。僕は僕、真理だよ。どうしたのさ、お兄ちゃん。……真理なんて初めからこんなんだったんじゃないの?」
ソレは抵抗するみたいに拓海の手首を掴んだ。
ぞっとした。振り払わなければならない。そう思ったのは確かだ。
そして、気が付いたらソレは床に倒れていて、隣には母親がいた。
「拓海、何してるの!真理に謝りなさい!」
ソレは泣いていた。けれど、拓海にはすぐに分かった。ウソ泣きだ。
「違うんだよ、お母さん。僕が悪かったんだ。ね、お兄ちゃん、そうだろう?僕が悪かったんだよね?僕が―――真理が全部悪かっ」
「真理は悪くない!」
拓海はソレの言葉を遮って言った。真理の真似をするソレがただ気持ち悪かった。
「何を言ってるの、拓海。じゃぁ何で真理をいじめるの」
「俺はいじめてなんかない。俺は悪くないし、真理も悪くない。全部ソレが悪いんだろ?
母さんには分かんないのかよ。ソレは真理じゃない。何かが真理と入れ替わったんだ!」
そう言いたかったはずなのに、ひとつも言葉にならなかった。
くそ、と吐き捨てて、拓海は自室の戸を乱暴に閉めた。戸を隔てた向こうから、母親があいつを気遣う声がする。
アンタはそれでも母親なのか?ソレは絶対に俺の妹じゃない。全然別のモノじゃないか。何で気付かないんだ。
真理は“僕”なんて言わないし、あんな喋り方をする様なヤツじゃなかった。
……そうだ、父さんなら分かってくれるはずだ。母さんだって今頃、アレが真理じゃない事位分かったんじゃないだろうか。
戸の向こうからはもう何も聞こえなかった。
明日、明日になったらきっと元通りになってる、明日確かめれば良い。そう自分に言い聞かせ、拓海は眠りについた……。
昨日のアレは夢であります様に。妹の悪戯か、約束を破った良い訳か何かであります様に。
拓海は制服に着替えて部屋を出ると、声のする方へゆっくり近付いていった。
話の内容は分からない。ただ、両親の声と、真理のと同じ、ソレの声が聞こえるだけだ。
「クラスの男子ってば僕に向かってこう言うんだ―――」
そう、やはりそこにいるのは真理ではなかったのだ。
そしてそれらは、談笑、していた。
あいつが何か言って、それに両親が笑っている。明るい笑い声。
あぁ、もう駄目なんだ。
拓海はその笑い声に絶望した。
妹はもういない。
何処にも、誰の中にもいない。
当たり前の毎日だったのに、昨日を境に突然妹は変わってしまった。別の何かに。刷り変えられてしまった。
見た目はなんら変わりない、俺の妹であるはずなのに、いつも照れた様に笑っていたその唇で“僕”と言い、時に冷ややかな言葉を紡ぐ。
それにあの冷たい手。あいつはきっと人間ですらない。
じゃぁ、あいつは何なんだ?真理は何処へ行った?
分からない。
それでもあいつは、今までとは違うのに、いつもと同じ様に拓海に付きまとい、毎日後ろを付いてきた。
誰も気付かなかった。
拓海がソレから距離を置こうとしている事に、真理の話し方が変わった事に、以前とは全てが少しずつ違ってきている事に。
全部偽物で、作られていたのに。
学校も、拓海の友達も真理の友達も。
それはそうだろう。真理の親ですら気付かないのだから。
だから、拓海は、何が何でもあいつに全部吐かせてやると決めた。
昨日の帰り道、拓海は、決して妹だとは認めないソレに訊いた。
「なぁ、こんな腹の探り合いなんてもうやめにしないか?片腹痛くてしょうがないだろ。お互い自分の腹掻っ捌いて、内臓晒そうぜ」
「何が?僕は何もしてないよ。僕はいつもの真理だよ。皆そう思ってる。お兄ちゃんだけがおかしいんだよ。どうしたの?
……良いけど別に。そして僕が、お兄ちゃんの全部をズタズタにしてあげようか?」
ソレは唇を弧に歪めた。
拓海の今の環境を、心境を表す様な、歪んだ笑みだった。
「いや、俺がお前の全部を皆の前に晒してやる。……お前は何なんだ?お前は真理じゃない」
その時初めて、拓海はソレが本当に表情を作ったのを見た。
何処かが痛くて、それに耐えている様な。
「僕は何なんだろうね。文字通り血も涙もない人間だよ、きっと。いや、人間ですらないんだ。
それはもうお兄ちゃんだって気付いているんでしょ?じゃぁ何なのか、って訊かれても答えられないけどね」
「やっぱりお前は真理じゃないんだな?なのに何で皆、お前を真理だと信じて疑わないんだよ。
真理は―――俺の本当の妹はどうなったんだよ!」
「君の本当の妹?……彼女は間引かれたんだよ」
間引かれた……?何だよそれ。
「それは……殺されたって事なのか?」
「さぁ?そこまでは知らないよ。僕は彼女の代わりに来てるだけだから。そんなの知る必要がないだろう?
本当ならそんな事知りたがる人間なんて1人だっていないんだから。答えなんて要らないし、誰も持ってないんだよ。ははっ、
……人間普通が一番だよね。大体、皆ワザと普通であろうとしてるんでしょ?君みたいにさ」
「俺みたいに……?」
「そうだよ。だって君、僕が一緒だと、いつも恥ずかしそうにキョロキョロしてる。
それって皆はそうじゃないのに、とか思ってるからでしょ?皆と同じでいようとしてるから。皆そうしてれば良いんだよ。
でも同じじゃないから、才能がある人間は引き抜かれて、何処かしら劣った所があれば間引かれる、らしいよ。
君の妹は優秀だった?……そんな事ないよね。じゃぁ、何処が劣ってたんだろう。ね、どう思う?やっぱりおつむかな?
それとも危険な思考を持つ不穏分子だったのかな?」
「不穏分子だって?まさか。……そんな事ある訳ないだろ。大体、誰がそんな事を許すっていうんだ」
「偉い人なんじゃないの?君は“普通”に入りそうだから間引かれたりしないだろうけど、妹が間引かれた事を知っているとバレたらきっと不穏分子と見なされるよ」
不穏分子。
それを決めるのが誰なのか、なんて知らない。けれど、それはきっと“間引かれる”という事と同じ意味を持つ事だけは確かだ。
そしたら拓海も、真理と同じ様に、似ているけれど全然別の拓海と刷り変えられて、皆の中から自然と消えていくんだ。
それはどんな気分になるんだろう。きっと、凄く不快なはずだ。
何かが、似ても似つかない自分の真似をしてるのに、皆がソレを自分だと思い込むなんて……。
でも、そしたら……。
「……そしたら真理に会えるのか?」
「そうとは限らないと思うよ。僕には彼女が何処にいるのかなんて分からないし、彼女にだって何か使い道があったんじゃないの?
僕だってずっとココに君の妹としている訳じゃない。僕はきっともうすぐ君の前からいなくなるよ。嬉しい?僕は悲しんでくれたら嬉しい。
……そう決められてるんだ。僕等は、引き抜かれたり、間引かれた人間の変わりになって一定期間過ごし、何らかの形で消える。
例えば、親と喧嘩して家出とか、何かの事故に巻き込まれて行方不明、とかね」
それが拓海にとって二度目の“昨日”だ。
そして二度目の今日。ソレが演じていた真理はいなくなった。
学校の原因不明の火事。
大きなものではなかったが、死傷者がゼロだったのに対し、行方不明者6名。あいつの他に、常に学年1位だった生徒会長、
全国大会で3年連続優勝して事もあるらしいサッカー部の元部長、誰からも好かれていた、若くて格好良い新任教師、
それに偶然今日から復帰した不登校の生徒が2名。
変だ。
こんな対した事ない様な火事で6人もいなくなるはずがない。
学校として機能しない位には黒く焼け焦げてはいたが、崩れ落ちたりはしていなかったと聞く。
それなのに誰の死体も見つからず、行方が分からない……。
まるで自分から消えたみたいじゃないか。
誰もが、信じてはいないが、という顔でそう言った。
だけど拓海は、多分それが正しいという事を知っている。
彼等は皆、引き抜きや間引きに遭い、代わりに来たソレ等だったのだ。
真理やあいつは何処へ行ったんだろう。拓海は探そうと思った。分からない事を。
そして拓海は不穏分子と見なされた。
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