かくれんぼ

 それはだんだんと暑さの増してきた夏の初め。
"それ"は静かに口を開いた。
「ねえ」
闇に包まれた部屋の中で、そうつぶやく"それ"の姿は異様に思えた。
窓際に立つ姿が、外の街明かりで淡くシルエットとして浮かぶ。
「外に出ないか」
 "それ"の、姿には似合わないハイトーンな声が部屋に響く。
暗い闇の中でも"それ"の表情が良くわかる。
何もない、無の表情だった。
「いいよ」
 僕がそういうと、"それ"は静かに微笑んだ。
なんとも言えない、儚げな笑みだと思った。




 "それ"が人ではないことを、僕は知っている。
それでも僕は知らない振りをしていた。
"それ"がそのことを知っているかは知らないけれど。
 夜の街は昼のそれとはまた違ったものだ。
昼の間なら楽しげに聞こえる、石畳を歩く音も、道の両端を果てしなく囲むレンガの家屋も、 どこかしら不気味な印象を受ける。
何かたくらんでいるような、そんな雰囲気があった。
肩の力を抜けば、死んでしまいそう。
 二人並んで、黙々と道を歩いた。
もう多数の人間が夢へと落ちたのか、 民家には光は無く、明かりといえば月光か遠くに輝くネオンライトぐらいだ。
 "それ"が静かに立ち止まった。
ひときわ暗い、不気味な場所。
"それ"は黙ったまま、全てを眺めていた。
"それ"の様子を無言で観察していると"それ"はゆっくりと空を見上げた。
「雨だ」
 "それ"がそう口にした瞬間、ぽつぽつと草をたたく雨音が聞こえた。
それはごく少量で、さして気にするほどのものでもない。
 "それ"はゆっくりと、奥のほうを歩き出した。
草を踏む音が、さく、さく、と聞こえる。
"それ"はひとつの木製の十字架の前に立った。
他にも無数の十字架があり、その下にはかつて人間だったイレモノがその数だけあるはずだ。
「かくれんぼ、しようか」
"それ"は楽しそうに笑った。
あまりにもその姿が悲しそうで、つい、口にしそうになった言葉を飲み込む。
「言わなくても、知ってるよ」
 僕の心を読んだのか、"それ"が言った。
楽しそうで悲しそうで、叫びだしそうな声。
"それ"がそういったのとほぼ同時、雨音が激しくなった。
ばつばつと草を打ちつける。
「かくれんぼしよう。ねえ、早く、見つけてよ」
 "それ"が言った。
十字架に寄りかかり、笑う。
"それ"の為の十字架は、そこにはまだない。
「大丈夫、すぐに見つけるよ」
 僕がそういうと、"それ"は僕のほうを見て、静かに笑んだ。
"それ"はゆっくり、微笑んだままかき消されるように、消えた。
あとにはただ、激しくなるばかりの雨音だけ。
僕はしばらく、そのまま立ち尽くしていた。




 気がつくと朝で、窓の外から街を眺めていた。
夢だったのかと思ったのだけど、髪はまだ確かに水気を帯びている。
 "それ"になった、友人を探さなければいけない。
彼はきっと呼吸を止めて、誰かが見つけてくれるのを待っている。
冷たい水の中か、寂しい森かはわからないけれど。
 僕は目を閉じた。
朝の日差しがそれでもまぶしい。
そのまま、十まで数える。
いち、にい、さん、し、
――もういいかい?