hyena

俺は子供の頃に住んでいた街と限りなく似た場所へ、仕事の為に来ていた。
大人は絶望を叫ぶ力もなく蹲り、 子供が汚い格好で遊んでいる。いわゆるスラム街だ。
俺が居た街はこれ以上に廃れていたような気がするが、 土地開発がありすぐに大きな建物へと変わった。
だから俺には故郷と呼べる場所はもう存在せず、 このような街を見ても特に何も思わないようになった。
それは良いことではないのだろうが、 あそこから連れ出してくれた「あの人」には感謝したいと思う。

俺がまだ小さく開発も始まったばかりの頃、 立ち退きを求めるために多くの人がやってきた。
そのやり方は本当に乱暴という言葉でしか表せず、 たった一日で半分以上の人間があの街から消えた。
俺にだって昔は家族のようなものがあったが、そいつらは さっさと街を出て行き俺を残していってしまった。
・・・きっと俺はこの街で誰にも知られることなく 静かに死んでいくのだろう・・・。
その時は子供ながらに冷静で、そう思っていたのだが、 すぐ俺には救世主となる人物が現れた。
それが「あの人」だったのだ。
ただボーっとしゃがみこんだまま何も考えていなかった俺に、 いきなり「あの人」は話しかけてきた。
「お前が欲しいものは何だ?」と少し見下ろした状態で、 俺にそう訊いて来たのだ。
俺はその問いにすぐに思いついたことをただ正直に 「金が欲しい」と答えた。
その答えの何が気に入ったのかは今でもわからないが、 「俺についてくるか」と言い歩き出した。
俺は別にどうなってもいいと思っていたので、 誰なのかも知らない怪しいその人の背中を追いかけた。
その俺を連れていった人は偉い人だったらしく、 結果は俺にとっていいものとなった。
住む場所も食べ物も、生きることに必要なものは全て与えてくれた。 そして、勉強もさせてくれたのだ。
あの街では考えられないような、 こんな素晴らしい生活がこの世界にあるなんて知らなかった。
本当に「あの人」には、幾度感謝をしてもしきれないほどの 恩を貰ったのだ。

そして生きていくうえで最も大切だということを、 何回も何回も繰り返し教えてくれた。
それは「強欲でなければいけない」ということだ。
俺がいた街の人間は欲が無さ過ぎるから、 あんな風に他人に食い潰されしかないのだ。
欲が強ければ何処に生まれ何処で育とうと、 必ず生き残っていくことができる、と。
俺は成る程その通りだと思い、 ならば生き残ってやろうじゃないかとも思った。

そして今に至っているというわけだ。
あれから何年も経って「あの人」は引退する時に 俺を後継者として選んだ。
俺は「あの人」が譲ってくれたその立場を一生懸命守ろうとしたし、 今ではそれ以上の役に就くこともできた。
だからこうして昔の「あの人」のように、 俺もスラム街を訪れ立ち退きを迫っているのだ。
こんなことは全て無駄だ。そうは思っていても 仕事なのだから何も言わずにやれば良いだけだ。
と、そのとき目に入ってきたのは あの街にいた俺と同じ年頃のしゃがみこんでいた子供。
思わずその子供に話しかけていた。しかも 「あの人」が俺に言った言葉と同じ言葉で。
「お前が欲しいものは何だ?」その子供は暫らく何も言わなかったが、 やがて一言口にした。
「金が欲しい」・・・成る程。何から何まであの時とそっくりだ。 だから俺もつい言ってしまったのだろう。
「俺についてこないか」「嫌だ」
既視感を覚えていたがこの即答で消えてしまった。俺はなんとなく 不機嫌になり「何故だ?」と訊いていた。
その子供の答えは「怪しい人についていっちゃ駄目だと 母さんに言われたから」だそうだ。
こいつにはまだ家族がいるのか。 いやそれより、母親はそんなことを教えてくれたのか。
当たり前のことかもしれない。俺は自嘲して小さく笑った。 そしてその子供の頭を叩いて去った。

俺にも家族がいればこんな風にはなっていなかったのだろうか?
今更考えても無意味だし何も変わらないのだが、 それでも思わず俺の頭は予想を弾き出していた。
恐らくその未来は今の俺の仕事よりか汚くないだろう。
そんな無駄な思考ついでに、俺と出会った あの子供の未来も少し想像してみた。
本当に漠然とそう思っただけだが、きっとあの子供は 幸せになれるような気がした。
あの子供が「強欲」かどうかなんて知らないし、 そう思ったことに特に意味はなかったはずだ。
まぁいい。もうあんな子供のことなんて。忘れてしまえ。
このモヤモヤした気持ちもきっと気のせいか 風邪でもひいているんだろう。
そして俺はもう一度「あの人」が教えてくれた言葉を心に刻みながら、その街から旅立った。